ツールとしての思想:ハンナアレントの回

2/4今日、ハンナアレントの思想をみんなで解釈して、それから出てくる可能性や思い思いのことを話した

 

これについて気になっていることだけメモっとく。

 

橋本・堀本くんの提起した流れ

 

 1.古代ギリシアでの 私的・公的領域 が明確に分かれていた

 2.近代以降に 私的領域 がすべてを覆ってしまった

 3.現代にみる公的領域の可能性

  DARC

  薬物依存を、当事者たち同士が語り、生活すること(回復?)

  薬物依存を社会が犯罪として排除するのではなく

  それを社会が包摂する試み

   DARCのことを田代まさし当事者がyoutubeで放送する

    排除して不可視にせず可視化する

   べてるの家、みんなの学校の試み

    排除される精神疾患の大人または子供が、地域のほかの人たちと共生していく

 区(ward)

  3代目アメリカ大統領 ジェファーソンの頃

  政治は、身近なところで参加する制度が組まれていた。今みたいに遠くない

 

 

細田さん

 

 デモ

  demo-cracy/demo-nstration ー 起源は同じ

  デモは楽しい、もっとやろう

  投票しなくても、デモだけでも政治参加になる

  たとえ結果が行動したのと違くても

  (ポリスでいう ”表現をし、それを晒す” ことでもあるのでは)

 

じゅんくん

 

 でも日本人はデモすると(とくに地方では)浮く、世間の視線の矢面にさらされる

 たぶん政治(公共)よりももっと楽しいこと(プライベート)があるから

 

野田きりん

 

 もう政治はいいと思った。

 DARCみたいなものをたくさん作ればいいんだよ

 

わんたけ

 

 それには賛同だけど、

 DARCのようなものは天変地異のようなものにもっとも弱く脆い。

  細田さんからの例:阪神震災の時に、アルコール依存症の自助グループをがれきのなかでなんとか継続開催して乗り越えた)

  たとえば原発や大政翼賛会(憲法改正:緊急自体条項など)のようなものが出ると、オルタナティブなものは一蹴されてしまう。

  いまそのようなせめぎ合いのなかにいるのでは?

どっちかでなく、両方やらなきゃぼくはだめだと思っている

 

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うまくアレントの流れを汲めたかわからないけど、

(とくにギリシアポリスでの公的領域のあり方をほとんど参照できていなかった、議論では)

 

直接民主主義か間接専制民主主義なのか?

という議論が往復したようなところがあったが、もっとクリエイティブで柔軟に、実際にもとづいた方向性が出せるように感じた。

 

他に出た視点

- インターネットによる解決と懐疑

- 地域通貨をアップデートできる可能性としての仮想通貨

 - さらに、減価する(腐る)通貨という特性を盛り込めるか?

 通貨から、中央集権、利子(無限の増大)を取りはらえるか?