おれの言いたいけど、なかなか言えてないこと <2>

なんかやりたいこととかあんじゃん?

・・・初めて つーか

いろいろだよ。

 やったことないからね。
 いや。それでも絶対あるんだ


要するにそれが 「なんですか?」
って言われるのにものすごいプレッシャーがある。
それ。ド緊張。ドキンチャン。

なんでだろう。
えみには「これって決めたくないんでしょ?」って
なんか固めたくないんだよ。
カチっとね。
そうしたくない何かがある。

何かに絡めながら派生してくる とか


 そういうほうがよく出るんだよ。


たとえば気になっていること。

 実はクリエーションとは、その制作対象やプロジェクトのことではなく、
 それをクリエーションしている時の気分、モード、派生してくる感覚

のほうが遥かに重要な地位を占めているんじゃないのか?

とか

 それが流通しないものだ。

なにかスポーツをしていて、それに熱中している。

ふとした間に 〜こむ風。
差し込む明るさ。
汗が風に触れるかんじ。

 こういうことのほうにより惹かれる何か。たとえばそういうこと。
 むしろこういうことにこそ本質があると思っていて。
 それが質感とか本能で捉えられる部分だったりするんだけど。

あるいは書くというこもそう。
話すのと同様に、書いている内容や、ましてや伝えたい気持ちはそりゃあるんだけど、

そこにある 「見られる」 という感じ。
そこに気分の源泉みたいなものがあって、そこから溢れてくる。

あるいは作文用紙というやつ。
あそこに与えられていることそのものが、こちらのやりたくなる 気持ちや内容 方向性 を導いている箱であり環境であり、

うんうん、もうだからこんなふうにそれに名前を与えて話すのって難しいよな。

すごく気持ち悪いもん今のは。

そしてなんといまこうしてやっているのは、
ずっとじゃないよ、つい今。

ブラウザの高さをすごく狭めて、
一行か二行くらいしか文字列が見えない。
とにかく限定されるようにしてみた 自分が書いた部分が またその余白が。

これらはやっぱ創作環境であって、それがパラメータになって
こちらのアレを定めている。
関係にあるからね。

そして目の高さ。
おれはパソコンやケータイが目線の下に来るのを敬遠している。なるべく上。

でもいま使っているような文章入力するやつだと、ある程度まとまった行を与えるために、
いつも、いつの間にか下の方にいってしまうようになっている。

高さの幅を狭くすると、そこしか表示されなくなるし、
ブラウザを今高く置いてみた。

このほうがいつも話している感覚に近いんじゃないのかな。

ほら、あるじゃん。記法でも。
新聞の文字の切り貼りによって作られた文章とか。誘拐状とかの

タイピングされて変換までそこで行われている状態をムービーとしてわざわざ表示するとか。

もっとダサイのだと、広告に「          」検索
とかやってるやつ。あれはもう最低。
ま、それはよくて

そう
表示される文字がその瞬間に二文字分しかないもの
あれはものすごくドキドキする。
書いていて。

その瞬間に巻き起こっているんだって。そういう。。。

ま、とりあえずこんなとこで。

要は、こういうことがおれにとって

切実で
リアリティー あって、
重みのあること

なんだけど、なかなか言い得なければ、
表出も、交換も、流通さえ叶わなかった。
ほとんど無いも同然に世界の中では扱われることだったりしてきた訳。

だからこうやって表出することはものすごく意味のあることだと思って、
こうしているんだ。
してみている。やっていこうと思う。
ただ、これをもっと意味深い、リアルなものにすることはもっとできると思う。
 誰かに宛てたり、実際に何かを作ったり送ったり、応用したりして、実世界を動かす
 動力、存在、道具、などとして流通していけば存在していける。

 

誰かが言っていた。

’心の中には何人でも住める’と。



おれは今思う

’他人の中に存在して生きていくということが・・・’

(流通することの究極だし、それが意味のあることで、自分の中に眠っているだけじゃない、
ひとりじゃない、 活きている だし 生きているではないか。)

自分のいわば言霊的なものが、他人の中に生きて、世界の中で成長して生きていくことができる。

 動いていく。。。